We are MIKENNEL and we are design groups.
Our faith is imagination, conception and creation.
We continue making something new.
THE MAKERS with everyone.
We are MIKENNEL and we are design groups.
Our faith is imagination, conception and creation.
We continue making something new.
THE MAKERS with everyone.
We are MIKENNEL and we are design groups.
Our faith is imagination, conception and creation.
We continue making something new.
THE MAKERS with everyone.
We are MIKENNEL and we are design groups.
Our faith is imagination, conception and creation.
We continue making something new.
THE MAKERS with everyone.
We are MIKENNEL and we are design groups.
Our faith is imagination, conception and creation.
We continue making something new.
THE MAKERS with everyone.
私たちマイケネルはデザイングループです。
信念は想像力と構想力そして創造力です。
私達は新しい何かを作り続けます。
ザ・メーカーズとみなさんと一緒に。
MaK9n'
WAVERS@DESIRES
©︎
tell about one's story
ウェバーズ@デザイアーズ 訳して『ゆらめく想い』ここでは MAK9N' ユニットの私、成田憲治の興味ある『モノやコトやヒト』との歴史、交流、想い、等々を時空を超え出来る限り包み隠さず
ブログ風に綴らせていただいています。ここから私たち MAK9N' という存在がどの様な『モノやコトやヒト』から創られてきたかをお伝えし感じて頂ければと思います。どうぞご観覧ください。

空と海と自分
これがエフェクト皆無の iPhone 撮影って信じられます?iPhone の性能向上は流石の一言。ですが、現場はさらに鮮やかなライヴ感満載、太陽の光、潮の香り、波の音、海鳥の鳴き声、ホント癖になるぐらい素敵な場所なんです。
ここは私が少年時代を過ごした秘密の場所。驚くような光景に何度も包み込んでくれた場所。ここで教えてもらった大自然の存在感や、そこから受ける感動が自身の感性を養ってくれた事に何の疑いの余地もありません。
この景色が普通に部屋の窓枠を額装代わりに見ていたなんて今思ってもなんとも贅沢な時空を過ごしていたのか… 感謝しかありません。
ありがとう。
観ていただいている通り、この自然の中にも、灯台、堤防と人工物が溶け込んで一つの『絵』として成立しています。これが私の想うコト、自然と非自然との融合、美術の対義語は自然である様に『自然とアートの融合』とシンプルに考え想っています。
他の写真はコチラへ ⬇️

AKIO MORITA
世の中にバブル崩壊の激震が走り始めた中、ソニー・ミュージックエンタテインメント(現 ソニーグループ)に内定が決まり入社内定式での出来事でした。
当時、ソニー最高経営責任者、大賀典雄さんの祝辞もいただき同期となる面々と歓談している最中、人事本部長に呼ばれ別室に招かれました。何事かと不思議な感覚と緊張感で一杯な気持ちを落ち着かせながらノックしたドアを開けた瞬間、目の前の光景に時空が完全にフリーズしました。そこから全てがスローモーションです。
先程まで壇上でお話をされていた大賀典雄さん、その隣の席には… 少年時代からの憧れの雲の上の存在、三宅一生さんデザインのユニホーム(作業服)を身にまとった盛田昭夫さんがいらっしゃったのです。僕を見るなり席を立ち目の前まで近づいて来てくださり発した言葉が…
『君が成田君か。本当だ若い頃の僕と顔が似てるな〜同じ目をしてるな』
忘れもしません。なんとも魅力的な笑顔と透き通った日本人離れをした瞳で、そうおっしゃってくださいました。余りの驚きと緊張と嬉しさから
『僕には皿はついていませんが』
と、とっさの判断で生意気とも取られかねない言葉を発してしまい一気に緊張感がピークに達しました。泣きそうでした。一間おいて…
『なるほどな〜』
と、大笑いを始めた盛田さんと背後でニヤッとしている大賀さんを見て、その緊張感が今度は一気に溶けてなく成りました。天と地ほどの距離を一気に駆け抜けた様な脱力感、その場で倒れそうでした。
『やってくれよ』
と肩を抱きながら固い握手… これが盛田さんが僕におっしゃってくれた言葉、最後に交わした言葉に成りました。
その直後、人事本部長さんから『成田が面接の時 "入社したらやりたい事は?" という質問に "盛田昭夫さんとお話がしたいです" と答えただろう。それだよ。』と、とても叶わないであろう夢をすぐに叶えてくれました。
みなさんカッコよすぎです。
勿論、手は洗いませんでした。笑
人生の恩師であり上司として一生忘れる事などございません。その立ち振る舞いから教わった『スピリット』は何事にも変える事のできない大切な心の宝物です。本当に有難うございます。

MICHAEL JACKSON
DANGEROUS THE REMIX COLLECTION
私が10代半ばの時代、彼の『スリラー』をはじめ多くの MV が世界中を席巻していました。当時は PV:プロモーション・ビデオと言われ、その概念を創作したのも彼です。私自身もそれらに憧れムーンウォークを真似したものです。新譜が発売される度にワクワクしながらレコード・ジャケットのビニールを破り、レーベルに印刷された筆記体の EPIC ロゴのカッコ良さにドキドキしていました。その頃からです。こんな会社で働きたいと意識し始めたのは。
嘘の様な本当のお話、このジャケット・デザインが私個人のアートディレクター&デザイナーとして EPIC 在籍後のデビュー作と成りました。後にソニー創始者の一人である盛田昭夫さん、EPIC の設立者である丸山茂雄さんからの配慮であった事を知り今でも言葉に出来ないぐらい感謝の気持ちで一杯です。その御恩を一生忘れることはありません。本当にありがとうございます。とは別に、先に記した『嘘のような… 』行の余談になりますが、この仕事を完成させたことによりストーカー被害で保護を受けたり『日本人にこんな仕事ができるものか』と詐欺師扱いされたりと、思ってもいない様々な事象に遭遇しました(笑)今でも『日本人がやているんだよ』と、そんな島国根性の負の部分を変えたいと心の支えに成っています。ねぇ盛田さん。
中学生の卒業文集に将来成りたい職業として『音楽・映像の美術担当』と書いたコト、本心はマイケルジャクソンと仕事がしたいダンスがしたい(笑)と思っていましたが余りにも大それた事と思い周囲の目を気にして正直には書けませんでした。が、それから8年後の当時23歳の時にそれは現実のものと成りました。
マイケル本人と初めて会ったのが赤坂見附の有名ホテルでした。緊張しすぎて今でも夢の様な時間と記憶です。彼を眼の前にして上手く話せず(だって彼の後方にエルビス・プレスリーの愛娘まで居たんだから)でも彼は私を強く抱きしめてくれて『 I LOVE YOU FOREVER 』と伝えてくれました。その時の彼の長く引き締まった筋肉質な腕と、それに見合わない大きなガッチリとした手の感触は今でも鮮明に体で覚えています。
数年来の夢の実現を、心と体で体感した本当に最高の時空でした。
帰りのタクシーの中、緊張の尾が切れ場も弁えずに同僚の肩を借りながら、溢れ出る涙を堪え切れなかった事を今でも覚えています。
本当にありがとう。

JAY KAY jamiroquai THE SINGLE BOX
彼と出会ったのは EPIC 時代、洋楽 A&R ディレクター宮井晶さん(現 株式会社SDR取締役)から『イギリスに面白いアーティストがいたんだ。一緒に仕事しない?』が始まりでした。90年代当時、流行前夜だったか渋谷系音楽のリーダー的存在、小山田圭吾くん”Cornelius”とイギリスのインディーズ・レーベルで見付けたと。持ち帰ったデモテープを聴いた瞬間に心が震えた『なんだこの感じ !? 白人でこの黒人の様なグルーヴ感は !! 』少年時代にエルビス・プレスリーから受けた衝撃と似た感性を感じ、個人的にこれは流行るイヤ流行らせる。と思いました。現在では周知の事実、音楽の一時代を築いた世界的な存在と成っています。
彼のメジャーデビュー・プロジェクトに携われた事、宮井さんの嗅覚には何度も驚かされると同時に、個人的な『世界的なアーティストを育てるデザインをする』という夢が叶った瞬間でもありました。
JAY KAY 本人と話した時、彼と出逢った事に納得しました。同い年、車好き、好きな音楽のジャンル、生い立ちまでもが少し似ていて『類は友を呼ぶかぁ〜』なるほどなって思った記憶があります。
どの様な作品かは MUSICandVIDEOMEDIA
コンテンツをご覧下さい ⬇️

NA6CE
1980年代後半、世の中はバブル景気真っ只中、数ヶ月単位で様々なタイプの車が発表されていました。ポルシェやフェラーリ等の海外の魅力的なデザインを纏った車も街中で普通に見掛ける様になり車天国と例えても過言ではなく一つのステイタスとしても様々な車が世の中に溢れかえっていました。
当時その中でも私が特に魅力を感じて惚れ込んでしまった車が MAZDA のセカンドブランド EUNOS から発売された『ユーノス ロードスター(NA6CE)』でした。
ライトウェイトスポーツ『人馬一体』と謳われたその小さなオープンスポーツは適度な排気量と1tに満たない車重で正にその言葉通り。コンフォートデザイン・バランスとして最高のモノでした。案の定、その後『世界で一番売れたオープンスポーツカー』としてギネスブックに正式登録されているそうです。2000年代、ニューヨークにあるMOMAのエントランスにも、このロードスターをオブジェクト化したモニュメントが置かれていました。
あれから想いを馳せて早30年、走ることの喜びを教えてくれた NA6CE に対する愛情は今でも変わっていません。

MOUNTAIN CLIMBING
実は山男なんです。笑
と言うかリーダー格になるまでボーイスカウトをやっていました。タイトルはブルース・ウィリス主演のアクション映画からお借りしました(営利目的ではないのでお許しください)クリエイティブ・アートディレクターというイメージが強すぎて中々想像し難いのですが(笑)本格的な野営・キャンプのスペシャリストです。イメージ無いですよね(笑)
国内で行われた世界ジャンボリーにも参加し、自衛隊の隊員の方々とも数週間、共同サバイバル生活した経験もあります。イメージ無いですよね(笑)ある時は登山中に集中豪雨、土石流に遭遇し孤立。一個隊のメンバーと数日間のサバイバル生活を余儀なくされた事もありました。
だからと言う訳ではありませんがサバイバル術、体力的なコトには少し自信があります。イメージ無いですよね(笑)でも実はそんな意味合いで『最後のボーイスカウト』なんです。
最近、コロナ禍の影響もあり、なかなか登山とキャンプに行けませんが、それがしたくてしょうがないんです。いつか行くぞ。

MIKEL NRT
マックロクロスケじゃありません(笑)ミケルって言います。私の大切な子(息子)パートナーって言った方が合っているのかもしれません。天使の犬です。
喜怒哀楽、表情豊かな意志の強い優しい子で、どんな時もどこへ行くにも一緒に過ごしてきました。今ではなくてはならない MaK9n' ユニットの一員です。
彼と過ごす時間と空間が私にとっては何モノにも代え難い大切なコトです。
過去より常に犬猫君たちが一緒に居ます。ジョン、ジョリー、ノン、トコ、ネネ、トム、メル、ミャー、メイ、みんなと過ごした沢山の掛替えのない想い出。ホント素敵で大切です。

TOKYO STATION
東京に住んでいると日常では余り足を運ぶ機会のない場所の一つが『東京駅』です。他にも都内に住んでいるのに東京タワーやスカイツリーに登った事がないコトと同じです。
それでも改めてその場を訪れ建築物として鑑賞してみると心落ち着きます。ドームの下に立ち普段余り見ない上方を眺めていると美しく威厳のある煉瓦造り(埼玉県深谷市産)の豪壮華麗な洋式建築から、その時代の音や活気が遠くから伝わってくる様で… 都内で本当に好きな落ち着く場所の一つです。
何かを考えたい時、都会の喧騒から少し離れたい時、敢えて『灯台下暗し』の意で中心のココに足を運びます。東京という大都市の鉄道面でのエントランス『東京駅』そこには数々の歴史の一場面を感じさせられ何かしらのヒントがある様に感じています。
私の好きな場所と、好きなコトの一つです。

ARCHANGEL ST. MICHAEL
実は25歳の時とある機会から1年近く大司祭様の所に通う事となりキリスト教の洗礼を受けているんです。洗礼名は『ミカエル』そう大天使ミカエルから受け継ぎました『神の如きもの』(諸説ありますが)とても荘厳な意味を持つ責任有る名前を頂きました。
導かれたとでも言うか…
これも不思議な出来事だったなぁって…
包み隠さず、それ以前その後の事象の全ては無理ですが出来切る限りのコトを、この場を借りて初めて書いてみようと思います。多分コレ少し長くなります。
何から書いていいのか…
まずは… みなさん普段、生活している中で教会って余り意識しませんよね。私自身もそうです。今までの生活の中で引越し回数だけは人に負けていません(笑)その中で今思い返せばなんですが… 引っ越し先に常に教会があったんです。まぁどこにでもあると思えばそれまでなんですが… ある時、自分の軌跡を辿った事があるのですが、そこで判明しました『ここにも。あっまたここにも』と言う感じで。その時、初めて意識したんです『知って分かる』正にその通りでした。
20歳になった時、知り合いから『あなたに持っていて欲しい』と、突然、何の前触れも無く古く威厳のある聖書を手渡されたり。
先に書いた『とある機会』と言うもの結婚だったんですが『あの家族とは結婚しちゃダメだ。僕が説得するから9番目の司祭に成りなさい』と、その大司祭様から仰っていただいたり。
その結婚式で今まで当面の間、稼働していなかったパイプオルガンを再稼働していただき『 Ave Maria 』を黒人のゴスペル歌手の方にライブで歌って頂いたり。その歌手の方が唄い終わり『あなたの為に歌わせてもらいました』と… 滅相もない事です。嘘偽りなくとても素晴らしい演奏と歌唱力、完全協和音で、今でも自分の為に唄って頂いた唯一無二の演奏、その感動は忘れる事は出来ません。それが結婚相手との不協和音を報せてくれた始まりでもありましたが(笑)今思えばそう言う事だったのかと別れる事ができで納得しています。
この写真の大天使ミカエル像は北海道は函館に在るトラピスチヌ修道院にあるモノなんですが、これも当時、北海道に転勤していた友達から僕にソックリな像があると教えてもらい。当時は気にもしなかったのですが、後々にそう言えば… と思い出し検索してみると… なるほどと納得しました。
包み隠さず出来る限りと書きましたが、今こうして記していると、余りにも他の体験は信じ難いものが多く、今はここまでにしておきます。
どうぞ宜しくお願いします。

ART TOWN PROJECT
どうなっていくのだろうか楽しみ。

WATCHING THE WATCHES
最初に自分の時計として腕にはめたのが、ミッキーマウスの腕が時針と分針になりクルクルまわる青い時計でした。
それが切っ掛けとなり時計に興味を持ちました。元来、一度気に入ったモノは長く大切に扱う性格なので今でもその時計を持っています。笑
初めて自分自身で購入した時計は、ソビエト連邦崩壊で世界中に放出された『RAKETA』ラケタ(宇宙ロケット)と言う意味を持つ、とても独特なデザインの魅力的なモノでした。かなり品質管理が曖昧なモノで、時を刻むことに関しては所謂、当たりハズレのあるモノでしたが(笑)一応、私のモノは当たりだったみたいです。壊れる度に諦めず修理してもらい永く使っていますね。一度、修理に出すと半年以上1年未満は手元に戻ってきません。修理に出した事さえ忘れるぐらいです(笑)何故なら公認修理人の方が大阪に一人しかいらっしゃらないからなんです。ありがたい事です。ただ数年前に廃業されたと風の便りに聞き今後どうしようかと箱の中に眠ったままになっています。
時を刻む為のツールである時計を『待つ時間』これもまた時間に関係したチョット乙なコトなのかなと思っています。

YASHICA FLEX
マイカメラの二眼レフ。1949年に長野県諏訪市で創業されたカメラ・メーカー八洲工学工業株式会社、後の京セラ、1956年の発売から未だに現役です。発売当初に京都のカメラ叔父が購入したものを『機械好き』の私にと祖母から幼少期に受け継ぎ、使い始めて早何十年、大切な宝モノです。
6X6mm フィルムのこのにカメラに写真を撮るコトの醍醐味を教えてもらいました。上部ファインダーから覗き込むスタイルの何とも言えない精密感のある光像、手にした時の重量感、手触り、好きなんです。
古人、古物より受け継いだ温もりは記憶の中でいつまでも生き続けています。
因みに後方に見える2台目のモノは、下北沢の蚤の市で購入した部品取り用の兄弟機です。と、当初は考えていましたが、今ではレストアして使いたいと思っています。

AFTER THE RAIN
雨上がりの葉に広がる水滴、好きなんです。
なぜなんだろう… 雨が上がって太陽光が差し込む瞬間、純粋な水滴がキラキラ光出し元気な雰囲気を醸し出す。その爽やかさが好きなのかな。
業界用語で言う『しづる感』を感じるからなのかな。
まぁどちらにしても… その雫が演出してくれる『新鮮さ』や『美しさ』が、堪らなく好きなんです。

6X6 FILM IN MY AGE
これ先に書いた二眼レフで撮った写真です。18歳の頃、美大を目指して始めた浪人一人暮し生活。普段部屋に篭りデッサンや平面構成ばかり描いていたので外に自分を連れ出すキッカケとして、構図の勉強の一環として、都内をこのカメラを持って撮り歩いていました。世田谷線で席が隣り合わせになった白髪の女性に「懐かしいカメラだねぇ〜」なんて声を掛けていただいたりと会話をするキッカケにもなり(当時の世田谷線はホント雰囲気あったなぁ〜江ノ電と車両を共用していたって知ってました?)当時、浪人生活のストレス発散にも大いに役立ってくれました。
この写真、キラー通りに現存するバーの店頭なんですが、その雰囲気あるお店の前を通る度に気になって撮った写真。そのうちにマスターに「一杯飲んでいく?」って声を掛けられる様になり「えっ!?」と思いましたが、恐る恐る大人の世界へ足を踏み入れた一歩になりました。おっと!?そうなんです未成年なんですよ(笑)その当時、自分ので言うのもなんですが、他人から見てもかなり大人びていたみたいで、隣に居たワンレンボディコン(死語)のお姉さんも「なんだ〜ナンパして今から一緒に踊りに行こうと思ってたのにぃ〜弟と同い年じゃ〜ん」って(笑)マスターも「20代後半かと思ってたよ」ってオイオイ(笑)可笑しかったなぁ〜まぁそのお陰もあってか(?)この写真、その後に美大の授業の中で高評価を得る事になりました。時代だなぁ〜お許しください。